一時期、コインゲームのあるゲームセンターにハマっていたことがあります。競馬ゲームやらビンゴやらトランプスロットなど、いろいろなゲームでコインを賭けて遊べる場所です。
そこで、毎回のように大量にコインを獲得している青年がいました。その青年はとにかく勝ちまくるのです。コインは換金できないので、それほどたいしたことではないのですが、それでも世の中には強運な人がいるものだ、と感心したものです。
強運とは何なのでしょう?
よく人は、ツイてない・・運がない・・などと嘆きます。なにかにかけて損や負けなどを「運」という理由にしたがるのが人間というものらしいです。とくに賭けごとに身を投じている人はそんな場合が多いように思います。
かくいう私も、1000ハマリなどが来ると、なんてツイてないんだ・・などとガックリ……(o_
_)o
と落ち込むことがあります。
最近になって、その青年のことを思い出すことがときどきあります。
彼は生まれつき強運の持ち主だったのでしょうか?
パチンコを打っていてふと気が付いたことがあります。私はパチンコやスロットでそれなりに勝っているので(自慢っぽく聞こえたらゴメンなさい)よく箱を積んでいます。
おなじパチンコ屋にいる人から見たら、私は「強運な人」に見えるのではないだろうか?(実際に周りの人からそう言われることもある)
その時に何か私の中でその青年のことや「運」というものについて一つの線で繋がった気がしました。
私は「強運」などというものはべつに持ちあわせていません。それはギャンブルのデータをとってみればあきらかで、機械の性能以上の当たりをひいているわけではないのです。
ただ、勝ちやすいような立ち回りや少しの技術を習得しているにすぎないのです。
おそらく青年はコインゲームで「勝ちやすい何かの法則」を見いだしていたのだと思います。私の気が付かなかった法則・パターンなど・・それは彼の一つの「技術」であったに違いありません。
しかしそれを知らない他人から見ると「強運な人」に写ってしまう。ただその程度にすぎないのではないでしょうか。
実生活においては、人間関係や社会での現象などで説明しがたい「運」というものは存在すると思います。
それは私たちがどのような環境で生まれて、何を体験するのかということに、どうにもならない部分が存在することからもあきらかです。
しかし、確率や物理法則については、人間は不公平ではありません。
どんなに肉体を鍛え上げても人は平等に地球に引っ張られます。どんな美人の容姿もいずれは衰え、どんなに健康な肉体でもいずれは衰退しやがては塵となります。どんな人がサイコロをふっても、出る数字を有利に偏らせることはできないのです。
パチンコの確率も同じく、当たりは平等に訪れる・・・
負けを「運」のせいにするのはもうやめよう。
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